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No.58 ふたりの師〜再会、そして別れ

10月17日、東京・杉並公会堂で演奏する機会がありましたが、自分でもびっくりするほど、気持ちを入れて演奏することができました。それはまず主催者の皆さまからいただいたお心遣い、温かなお客様の醸し出す雰囲気と、新装された美しいホールの音響が素晴らしかったからということがあると思います。そしてもうひとつ、同時刻にサントリーホールで、サー・ジェームズ・ゴールウェイのリサイタルが催されていたことも大きな要因だったように思います。

私が初めて彼の演奏を聴いたのは、その杉並公会堂でした。フルートを始めてまだあまり時間が経っていないころでしたが、心の中では将来フルートの道に進みたいと思っていました。当時習っていた野口博司先生が、ご自分の属する東京都交響楽団に素晴らしいフルーティストがソリストとして客演するので、その公演を是非聴きにいらっしゃいと、チケットを2枚くださったのです。レコードでは聴いていたものの、現実目の前で繰り広げられる鮮やかな演奏と、その多彩な音の響きには圧倒されました。音のひとつひとつが自分に語りかけてくるようで、心の底から揺さぶられる思いでした。モーツァルトのコンチェルトはあっという間に終わってしまったように感じました。そして何度かのカーテンコールのあと、小さな笛(ティンホイッスル)でアイルランドの民謡を吹き鳴らして舞台から消えると、人々は割れんばかりの拍手を惜しみませんでした。私も隣に座っている弟と共に、手が痛くなるまで拍手しました。

ジミー(ゴールウェイさんの愛称)に教えをいただくようになったのは、はるかあと。プロデビューしてから数年目のことでした。以来毎年スイスやイギリスに行っては、集中して教えていただきましたが、初めて演奏を聴いたときの印象が、まったく変わらずに輝き続けるジミーの音楽の素晴らしさや、人間としての大きさに触れ、益々尊敬の念を深めてきたのです。

そして先日、ジミーの音を初めて聴いた場所、杉並公会堂で自分が演奏しているとき、同時刻に東京でジミーも演奏しているということを思うと、なおさらそのときのことが思い出されてしまったのでしょう。素晴らしい音楽を伝えてくださっているジミーの気持ちに応えるためにも、いい音楽を奏でなければ、という強い気持ちが湧いてきたのでした。
大阪のザ・シンフォニーホールでのガラコンサートを聴きに行った折、開演前の楽屋を訪ねて語り、新しい楽器を試させていただいたりしました。20本ものフルートを所有しながらも、より良い音への探究心を失わないその姿勢には感服します。楽譜のことなどにも詳しくサジェスチョンをいただきました。また、彼がメッセージを寄せてくださったCD「Luce」がおかげさまで好評いただいていることを告げるととても喜んでくださり「あれは本当に良いCDだよ。それだけ売れたのは世界的に見てもすごいことだ!」と、我がことのように言ってくださいました。そして「もし那須に行くことができたら、そのときにはジニー(奥様)と3人で合奏しようよ!」とも。そんな日がいつか来ることに、思いを馳せています。
2007年10月24日
サー・ジェームズ・ゴールウェイのHPにシンフォニーホールでの写真が紹介されています。
(下記HP内「Viewing Album」の「Osaka Flute Section」をご覧ください)
http://www.thegalwaynetwork.com/flute_sections/index.html

<追悼>
高校・藝大時代のフルートの恩師、小泉剛先生が26日午後2時43分に永眠されました。
数年にわたる闘病生活を送られ、最近ではかなり重篤になっておいででしたが、ついにお別れの日が来てしまったことに、とても残念な気持ちです。私が演奏家として活動を始めてまもなく、オーケストラデビューさせていただいたのは、先生が首席奏者を務められていた読売日本交響楽団の演奏会でのことでした。その時私は初めて、チマローザ作曲の2本のフルートのための協奏曲で、先生と共演させていただきました。

演奏会に先立つリハーサルのとき、
「あなたはプロになったんだから、もうレッスンはできません」とおっしゃられました。これから教えていただこうと思っていただけに、とても寂しい気持ちを覚えました。でも当日、舞台上で先生は圧倒的な存在感で包み込んでくださり、私は先生の豊かな音に沿うように、安心して演奏することが出来たのです。本番を終わって、先生のお言葉の意味が分かりました。いつまでも生徒気分の甘い気持ちが抜けないでいた私に、自覚を促すため敢えて厳しいお言葉をくださったのだと。

そのときが最初で最後の、先生との共演になってしまいました…。
類まれな才能で若くして入団してからオケマンを貫き、藝大においては故吉田雅夫先生と共に日本のフルート界に旅立つ、多くのフルーティストを長年に渡り育てられました。受験時代、ドキドキしながら毎週先生のお宅へ伺っていたこと、そして藝大の練習室に響いていた、先生の明るい笑い声が思い出されてなりません。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
2007年10月29日
山形由美
 
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