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No.50 私にとってのひな祭り

陽の光が日ごとに暖かさを増し、今年も桃の節句が近づいてきたことに気付く。
この季節になると必ず思い出す、ある風景がある。
それは大学のキャンパスで一心に掲示板を見上げている受験生、私の姿である。
そしてそのとき覚えた大きな緊張感が、年月を経てもなお、私の中にまざまざとよみがえってくるのである。

十四歳でフルートを始めた私がその魅力に取りつかれてしまうまで、さほど時間はかからなかった。自分の息を吹き込み、音にしていくおもしろさ。
ほんのわずかな唇の形や力の入れ具合、息の強さやスピードの変化でびっくりするほど変わる音色。それらを集約させて美しい音を作り、メロディーを奏でていくフルートは、それまで接してきたほかの楽器と全く違っていた。
そしてフルートが将来を共にする存在であってほしい、と強く思うようになった。
当時エスカレーター式に大学まで上がれる学校に通っていたにもかかわらず、東京芸大受験を決心したのには、このような理由があった。

それ以来、学校の勉強と長時間のフルートの練習はもちろん、副科のピアノ・ソルフェージュ(楽譜を見てその場で歌う)・聴音(音を聴き取り楽譜に記す)・楽典(音楽理論)などのレッスンに駆けずり回る生活が始まった。
同級生たちとの楽しいお弁当の時間を削って、誰もいない礼拝堂でこっそり練習したり、修学旅行では旅館の布団部屋をお借りして音を出したりと、わずかな時間もひねり出しての受験準備は、今考えてもよくやったな、と思う。

そのような学校生活を過ごし、三月三日、春の行楽にさざめいている人たちをかき分けながら東京・上野の芸大に向かった。
ついに入試日程が学内の掲示板に一斉に張り出される日を迎えたのである。
やっとのことで到着すると、すでに楽器を抱えた受験生たちが大きな掲示板を取り囲んでいた。
私も背伸びをしながら自分に該当する欄を必死で探した。器楽科ではほとんどが個人試験でおこなわれるため、分刻みのスケジュールが組まれていて、掲示板には各自異なるさまざまな試験日時が受験番号順に記されていた。
こうして第一次、第二次、最終審査と次々とふるい落とされる入試は二週間以上も続くのだった。

ひとりずつ部屋に呼ばれ、試験官の先生がたの前で課題曲や自由曲を演奏し、力を出し切らねばならない。
さらに心身の状態を保持しながら長丁場に耐えていかなければならないことも十分に想像していたが、それが実際に翌朝から始まると思うと、恐ろしいほどの緊張感が体中に広がっていくのを感じた。
しかしそのすぐあとには、なんとしてもやりぬくぞ、という強い気持ちがおなかの底からわいてきた。

演奏家となった今でも、このときの大きな緊張感、覚悟にも似た気持ちが自分の中で大きな核となっていることは間違いないだろう。私にとってひな祭りの日は、それを確認する日なのかもしれない。

※下野新聞2月26日(月)付 『しもつけ随想』より転載
2007年3月1日
山形由美
 
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