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No.54 ロマンティック街道の思い出

去る6月30日、7月7日の2回に渡り、ついに「地球街道」が放送されました。
私にとって、画面から伝わる全てのシーンが懐かしく、胸に沁みる思いでした。
初めてのロマンティック街道。その美しさはかねてから聞いていたものの、素晴らしさは想像以上のものでした。南ドイツ・バイエルン州のビュルツブルクからアルプスに近いノイシュヴァンシュタイン城までのおよそ350キロを南下しましたが、どこにもまるで絵本のような、自然美溢れる風景が広がっていました。点在する街々には赤い切り妻屋根の家が並び、おとぎの国のようなかわいらしさ。そしてそこに住む人々が、古きよき風習を大切にしながら、現代に力強く生きている姿が印象に残りました。出発前には唯一の不安要素だった右側通行の運転にもほどなく慣れて、気がついたら運転を楽しんでいました。きっと那須の暮らしで、くねくねした田舎道を走るのがすっかり得意になっていたせいもあるかもしれませんね。

旅の途中にはしばし街道からはずれ、ふたつの街に立ち寄りましたが、いずれも私の専門である音楽・そしてフルートに、深く関わっている場所でもあります。まずバイロイト。ワーグナーの聖地として音楽ファンの憧れを集めている街です。象徴的な存在である祝祭劇場では毎夏バイロイト音楽祭が開かれ、ワーグナーのオペラを上演していますが、そのチケットは大変なプラチナチケットとして知られています。
20年以上も前、当時藝大生だった私は、バイロイト音楽祭と並行して開かれている「青年音楽祭」に参加し、ひと夏を過ごしました。地元の学校、ギムナジウムに寝泊りし、各国からの音楽家の卵たちと練習を重ね、演奏会にも出演しました。その合間には劇場でオペラを楽しんだり、ワーグナーと夫人のコジマが居住していた瀟洒な家を訪ねたりと、思い出は尽きません。それは私にとって初めてのヨーロッパ生活だったこともあり、鮮烈な印象を残してくれました。
今回、そのギムナジウムで撮影させていただくにあたり、バイロイトの方がたには大変お世話になりました。ギムナジウムの校長先生は自ら懐かしい校内を案内してくださいましたし、また現在の青年音楽祭の事務局長のご婦人もびっくりするほどの歓待をしてくださったのです。「かつて青年音楽祭に参加した若者が音楽家となり、年を経てバイロイトを再訪した」ということを、とてもうれしく感じてくださったとのことでした。青春時代の思い出に、今度は新たな思い出が加わったということを幸せに思いました。

ミュンヘンでは、フルーティストにとって偉大な存在として認識されている、テオバルト・ベームの足跡を訪ねました。テオバルトは、現在私たちが使っているモダンフルートの祖ともいえる存在です。かつて、バロック時代などに全盛を極めたフルートは木管で、ごくわずかのキーが付けられているようなものが主流でした。その後音域を広げたり、音量を増したりするために、さまざまな人が改良に挑戦しましたが、なかなか難しい中、19世紀の半ば、テオバルト・ベームが素材に金属を用い、たくさんのキーを連結して動かす機能を研究し、画期的なフルートを作り出すことに成功しました。そのためびっくりするほど速いフレーズを吹けるようになりましたし、大きなホールでも響くような音量を得ることができたのです。その功績から、そのスタイルのフルートは彼の名を冠して「ベーム式フルート」と呼ばれるようになりました。現在使われているフルートのほとんどはベーム式なのです。
ミュンヘンに住むテオバルトの4代目にあたるルードヴィッヒ・ベームさんのお宅では、ベームの手によるフルートを吹かせていただくことができました。シルバーの楽器ですが、キーを押さえる感触は今の自分の楽器とさほど違いがなく、本当にこれがモダンフルートの原型なのだ、ということが良くわかりました。

そして旅は進み、ロマンティック街道の終着地、フュッセンからほど近いお花畑の向こうにアルプスを望み、憧れのお城が山の中腹に見えてきたときの感動!
ワーグナーに傾倒するあまり、彼のオペラの舞台となった中世の騎士世界を再現すべく、ときのバイエルン王、ルードヴィッヒ2世が贅の限りを尽くして建てたノイシュヴァンシュタイン城です。それは白鳥城という名にふさわしい優美な姿をしていました。
外観の素晴らしさは言うまでもなく、内部の豪華さには圧倒されるばかり。隅々にまで王の美学が込められていて、息が詰まるほどです。 その中でも最も豪華な広間は「歌合せの間」。
中世のイベント、歌合戦を再現するために王が作らせたということですから、どれほど音楽好きであったかがよくわかります。それなのに、城にわずか半年しか住むことしかできず早逝した王は、ついにその広間で音楽を聴くことがかなわなかったのですから、なんという皮肉なことでしょう。
最終シーンで、私はその部屋で演奏することになりましたが、その場にどんな曲がふさわしいのか、熟考しました。
そして演奏したのは、オペラ『パルジファル』の前奏曲から「聖餐の動機」と「聖杯の動機」です。
それを選んだ理由は、まず、歌合せの間の壁にはパルジファルのシーンが描かれていること。
加えて、王が亡くなる前、ミュンヘンの宮廷劇場で最後にワーグナーと会ったときに聴いたのが『パルジファル』の前奏曲だったこと。それはワーグナー自身の指揮による演奏でした。
特に「聖杯の動機」は、メンデルスゾーンが使用したことでも有名な「ドレスデンのアーメン」と呼ばれるもので、数あるワーグナーの作品の中から、ルードヴィッヒ王への鎮魂曲に最もふさわしいフレーズと思えました。そして私は、心からの演奏を捧げました。

昨夜、後半の放送が終わり、やっと私の「ロマンティック街道の旅」も終わったのだ、と感じています。
そしていつか、この思い出にまた新たな思い出が重なっていく日を心待ちにしたいと思っています。
2007年7月8日
山形由美
 
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